生誕地・・・夜のお菓子は140km先
1973年8月26日、
母親の故郷静岡県沼津市で産声をあげた。
母親曰く、まだ残暑が厳しい頃だったらしい。
北部は富士山などの山岳地帯、そして伊豆半島の玄関口による駿河湾の影響を受けて、比較的気候が温和な沼津市。その反面、静岡県熱海市で起きた“令和3年7月伊豆山土砂災害”のように、静岡県東部地方は、大雨や強風などの異常気象が他所と比べて多いのだそうだ。
金魚のようなシルエットの静岡県は、
東海道新幹線に乗れば一度は思う“まだ静岡県?”っと。
東西がとにかく長いイメージがあるのだが、都道府県の面積ランキングを調べてみると、まさかの13位なことに驚く。
東京駅〜新大阪駅間の東海道新幹線、その距離の約1/3が静岡県であり、”のぞみ”で通過しても約50分は掛かる。東名阪を結ぶ大動脈において、早く大阪に、名古屋に、横浜に、東京に訪れたい乗客たちは、“静岡県は長い”と思っているに違いない。
他県に比べると、実はさほど県幅も長くはない静岡県なのだが、西部(遠州)、中部(駿河)、東部(伊豆国)それぞれの地域性が色濃くあり、広がりある文化が静岡県を大きく感じさせてくれているような気がする。他県出身者に、静岡県の名産は?っと問いてみると、うなぎ、お茶、みかんとバラバラになるところも興味深い。
では自分に静岡県東部のアイデンティティがあるのか? 幼少期は、“沼津”という地名のひびきに、“ぬま”、“なまず”を連想させるせいもあってか、ヌルッとした湿り気あるイメージを抱いたことは否めず、“レペゼン沼津”を名乗るには、オマエ違うだら〜と言われても仕方がない。
故郷・・・不思議の国のヌマヅ
さて、山と海に囲まれた天然の要塞的立地の沼津は、今川氏、武田氏、北条氏と有力な戦国大名が争奪戦を繰り広げ、江戸時代には、沼津城を拠点とする“駿河国沼津藩”が置かれた、由緒ある歴史ロマンに満ちた場所である。
大正12年(1923年)に誕生した沼津市は、近隣の村々との合併を経て、伊豆半島の北西部を手中に収めている。“平成の大合併”により、2007年には、伊豆半島西部の戸田(へだ)地域も沼津市となった。
当時の田方郡戸田村や、“伊豆七不思議”が伝わる“大瀬崎”へ向かう際は、沼津港から出船する“戸田運送船”が主な交通手段だったそうだ。そんな海のむこうだった戸田村の沼津市合併は、沼津市育ちの母にとって“伊豆七不思議”に次ぐ八番目の不思議になったのかも知れない。
2004年に戸田運送船は定期便が廃止となってしまったが、
そのアクセス難が物語る、秘境的で神秘的なエリアが点在する戸田地域。
そのひとつ、“大瀬崎”に伝わる七不思議のひとつとは、
大瀬崎の岬先端“琵琶島”に鎮座する、
引手力命神社境内に潜む“神池”の謎。
海から最も近いところでは距離が15mほど、標高も約1~2mしかなく、海が荒れた日には海水が吹き込むにもかかわらず淡水池を保っており、いまなおその水質の謎は解明されていない。