横浜発祥・・・ホーム・こってり・ホーム

横濱家系ラーメン総本山“吉村家”が誕生したのが1974年だそうだ。横浜生まれ横浜育ち、そして横浜の港湾関係に勤めていた我が父は、新杉田に開業した当時の吉村家の存在を知っていることを、得意げに話をしていたのが懐かしい。
すっかりラーメンに縁遠くなってしまったが、
昔の携帯に収められている写真を見返すと、
ラーメンの写真ばかり。
店名が分かるような撮影をしていないため、
何処のラーメンの写真なのかが分からないものが多い中、
ブラックな海苔とビリジアンなほうれん草、その確固たるヴィジュアル、飯テロ必至の不健康な写真映えの“家系ラーメン”だけは、即解読できるものだ。

東急東横線・白楽駅が最寄駅だった学生時代、
思い出の”家系ラーメン”といえば“六角家”だった。
この六角家は、吉村家から分家した“本牧家”店長の独立店。この家系DNAの継承こそが、横浜のソウルフードを超越し、全国展開へと成長していき、いまなお脈々と受け継がれている。

時を同じくして、1974年にリリースされた、
ディープ・パープル通算8枚目のアルバム
『BURN(紫の炎)』。
新メンバー、デヴィッド・カヴァデール、グレン・ヒューズを迎えての“第三期ディープ・パープル”始動作にして、タイトルトラック“BURN”は色褪せることのない大名曲だ。
司令塔・リッチー・ブラックモアのソリッド感あるギターテクニック、ハモンドオルガンとアープ・オデッセイの両鍵盤を自在に操るジョン・ロード、野生的なグルーヴとエレガントなクラシックフレーバーが織りなす、後のHR/HM黄金期に多大な影響をもたらした楽曲と言える。
そして、メンバーチェンジという変遷により、
多くの名プレイヤーを輩出し、
HR/HMの歴史にその名を刻むバンドを続々と誕生させた。

個人的にこのアルバムで大好きな楽曲は、
“You Fool No One”だ。
特にライヴ盤『Made in Europe』でのパリ公演テイクは、
16分を超える圧巻のパフォーマンスだ。
残念ながら、このパリ公演を最後に、
リッチー・ブラックモアはディープ・パープルを脱退。
このライヴ盤が発売された1976年にバンドは解散してしまうのだが、1984年に再結成。HR/HM系譜の総本山は現在も活躍中である。
老舗ラーメン店の継承とヘヴィメタルの継承は、
豚骨スープのようなドロドロとした人間関係、
脂ギッシュな男臭い頑固一徹、
バリカタな絆によるチームワーク、
そして栄枯盛衰と起死回生、
この生き様が相通ずるものを感じるのだ。
サンマーメン・・・秋刀魚ではない馬ではない
HR/HMの総本山において、ディープ・パープルよりも、
レッド・ツェッペリンだろ、ブラック・サバスだろ、
というハードロック通の熱い意見があるように、
味にうるさい横浜市民のなかには“横浜のソウルフードに“サンマーメン”を挙げるかもしれない。しかしその存在は、家系ラーメンに比べればマイナーな気がする。ハードロックバンドに例えるならば、“BUDGIE (バッジー)”といったところか。
サンマーメンとは、広東語で「生馬麺」。
生 (サン)は“新鮮な・シャキシャキとし食感”、
馬 (マー)は“上に乗せる”、
そこからの“餡かけもやし炒めそば”であり、
昭和5年に横浜中華街の名店“聘珍楼”が発祥と言われている、横浜ご当地ラーメンの最古豪だ。

若かりし頃に、ひとり高級中華の聘珍楼への入店はいささか難しく、町中華として気軽に食せるサンマーメンでいまも人気なのが、横浜・東神奈川駅近くの“南京亭”。
個人的には、JR大船駅近郊にあった“横浜一品香”の、ベイエリア・横浜らしくカモメが縁取られた器のサンマーメンが思い出深い。

つまり、サンマーメンとは中華屋メニューの一皿であり、興味本位で注文しようと思っても、やっぱりエビチリや麻婆豆腐などを選んでしまうと言った、あえてサンマーメンを注文することが少ないゆえに、マイナーな存在になってしまったのではないだろうか。
差別化を試みても、どうしても人気ナレーターにキャスティングが集中する歯がゆさを経てきた自分にとって、光が当たらないサンマーメンには、そのポジションに同情してしまう。
ラーメン・・・値段に悩んでるのではない

さて、中華屋ではないラーメン専門店において、醤油も塩も味噌も豚骨もあるといった、サンマーメンは無いにせよメニューが多い店に戸惑う自分がいる。
東京都足立区北千住に当時あった“菊や”のぶっ飛び仰天ラーメンの数々に面食らった自分に、ひょうきんな店主が一言、“ゆっくり決めてねー”っと。そう、かなりの優柔不断な性格なだけに、食券機の前で悩ませないで欲しいのだ。

それに比べてあの頃の家系ラーメンは潔く、“家系豚骨醤油”一択。そして麺の固さ、油の量、味の濃さを、六角家の場合は、厨房へ叫び告げてもらうのだった。
六角家、横濱家、たかさご(高砂町)、
この3店を懇意にしていた学生時代。
外食に出費するのが厳しかった頃だけに、
行きつけの専門店開拓、躊躇なく暖簾を潜れ、
好みの味を告げられる“リピーター”デビューに喜びを覚え、
飽和状態の現ラーメンシーンで食する一杯よりも、
何倍も美味くすすっていた気がする。

いまやラーメン、つけ麺は日本を代表する食文化であり、ミシュランガイドにも掲載されるなど、インバウンド需要のひとつとなり、有名チェーンは海外にも進出している。いまなお続くこのラーメン群雄割拠において、質と拘りが追求されていくラーメン一杯の単価は、かなり高騰している。
バブル期の定番だった“マイカーブーム”は、バブル崩壊後に急速に減少し、交通インフラの進歩も相まって、若者たちは車から離れている。そんな、高額なものを買う必要がないデフレ文化は、今後ラーメンにも及ぶのではないかとさえ思えるほど、ラーメンはもう“庶民の味”じゃあないってことだ。