「昭和48年から令和5年まで」(1973年“昭和48年”に生まれて その3)

積み重ね・・・経験値も尿酸値も

地上駅が地下駅へと変貌していく理由のひとつに、老朽化=耐震性問題がある。東日本大震災を機に、公共施設の老朽化問題が見直され、数々の思い出の景色が変わっていった。

震災を教訓に平成が終わり、
そしてコロナを教訓に令和が4年目を迎える2022年、
あの“中銀カプセルタワー”が解体予定だそうだ。

故黒川紀章氏が手掛けた1972年着工、140個のカプセル部屋がはめ込まれ、20~25年ごとにカプセルを交換し、“新陳代謝”することで建物を残す“メタボリズム”の発想で、東京都港区汐留近郊に建てられた同世代のレトロフューチャー建造物。

47年前の建築物にして、持続可能な開発目標“SDG’s”に着目していた中銀カプセルの勇退の知らせは、健康診断の結果に、己の新陳代謝(メタポリズム)の低下を告げられ、“老朽化”という烙印を押された、あの絶望感に近い気分である。

そんな“中銀カプセルタワー”のカプセル部屋(プロトタイプ)が、埼玉県立近代美術館が建つ北浦和公園内にポツンと展示されており、ベールに包まれた部屋内部が窓越しではあるが見学出来る。

白い小部屋・・・部屋と元号と私

一見公衆トイレかと思われがちなそのスクエアフォルム、
洗練された丸窓を覗くと、埋め込み型ブラウン管テレビとテープデッキ、書類棚も備えた折り込み型デスクなどが、無駄を削ぎ落とした空間に詰め込まれており、その姿は、“リモートワークスペース”の登場を示唆していたかのようである。

覗き込まなければ、白い長方形のモニュメント。
内部にフォーカスすれば、寛ぎよりも機能性に特化した、ハイセンスな空間が凝縮されている。

屋外アートとして展示される中銀カプセルのプロトタイプは、シンプルにして濃密。雨風にさらされながらも、内蔵された昭和の産物を色褪せることなく守り続けている。

昭和のレトロな我慢強さ、平成のヴィンテージなシンプルさ、そして令和のハイブリッドなサステナブルさ、三世代のスタイルがひとつにまとまったこのカプセルの在り方は、3つの元号を経てきた“団塊ジュニア”にとって、我々ならではのこれからを生きる理想のアティテュードに思える。

謎の四角い箱のような、一見理解しにくい“ニッチ”な職業であるナレーターが、無駄を削ぎ落とした50代を目指すべく、210万人いるアナログとデジタルの狭間に揺れた“団塊ジュニア”の50年史(1973年〜2023年)を記していくことを、あらためてお伝えして締めさせていただく。

では、WONDERで、HEAVY METALで、BIZZAREで、代謝の低下で血の巡りが悪い“むくみ”気味なブログのはじまりはじまり。

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