「ナレーターはナレーションに恐怖する」(1973年 その3)

1973年・・・オイルショックだけじゃない

軍需工場を少なからず抱えていた沼津市は、
昭和20年7月17日未明、
マリアナ基地を出撃した米軍機130機が飛来、
9007発、1039トンに及ぶ焼夷弾を投下。
都市面積の89.5%が破壊されたとされる。

昭和16年に、後世への保存を目的に記念碑が建てられた、樹齢300年の“河内の大スギ”。巨木としての存在感があったこの老スギは、“沼津大空襲”の戦火を免れ、いまも沼津市の山深い地に、ひっそりと力強くそびえている。そのたくましい姿は、50歳目前のナレーターに活力をもたらしてくれた。

さて、2019年に放送された、NHK BS1スペシャル『よみがえる悪夢〜1973年 知られざる核戦争危機〜』をご覧になっただろうか?松尾スズキ氏の重厚なナレーションで、核戦争危機の真相に迫った100分。第四次中東戦争を巡る、米ソ指導者の疑念が重なり合った“核兵器”による脅しは、思わぬ偶然、まさかの決断が交錯する、映画さながらのスリリングな展開。

一歩間違えれば、ロッキー対ドラゴのようなガチンコバトルが生じたかも知れなかった事実が、自分が生まれた1973年にあったことに驚き、松尾スズキ氏の静かなる“語り”が恐怖を倍増させた。

特に不気味だったのが、アメリカ・サウスダコタにある“ミニットマン旧核兵器発射基地”の地下サイロにあった核弾頭ミサイル。発射のそのときをいまだ待ち構えているかのような、錆ひとつない純白な巨大ミサイルだった。

年輪と存続・・・それは今日と明日

48年前に発射されたかも知れないその純白なミサイルと対称的なのが、東京都府中市の”旧府中通信施設”跡地に建つ錆びれた軍事遺構、通称“府中トロポサイト”。

このパラボラアンテナなどの通信施設を除く、在日米軍基地の土地が米軍より返還されたのが、実は1973年。その後、府中の森公園などの施設が建設され、先月の2021年9月30日、遂にこの旧通信施設が残る土地も、東京都に返還された。

撤去を免れ48年間残り続けた軍事遺構は、まもなく解体されるのかも知れない。樹齢300年の大スギには及ばないにせよ、半世紀もの間ここに建っていた軍事通信施設は、現役時代何を傍受し、何を発信してきたのだろうか。

今日10月26日は、デロリアンが時空を超えて、
1955年、2015年、1885年を行き来して36年目の日だ。

最終章『バッグ・トゥ・ザ・フューチャー3』にて、西部開拓時代のなかで、タイムパラドックスを避けようと悪戦苦闘するマーティとドクに対して、1885年を生きるひとたちは、“もうちょっと将来を考えてみろ”、“きっと明るい未来が待ってるさ”と投げかけるシーンが意味深い。

時空を逆らい、未来を知るふたりを悩ませる根本が、タイムマシーンを作った科学者のエゴと、挑発に乗せられ、道を踏み間違えがちなマーティの心の弱さだったことを、タイムトラベルを重ねたことでふたりは悟っていく。

先述の“麻布七不思議”のひとつ、“麻布”の地名由来である、麻布山善福寺の御神木“さかさ銀杏”。樹齢770年の大銀杏には、昭和20年5月25日の空襲“山の手空襲”による焼け跡がいまなお残っている。

『フランケンシュタインの恋』主題歌

ゆっくりじっくり年輪を重ね、大地に根を張り続けた巨木、威信を賭けてと、国力の粋を結集して作られた軍事施設の遺構。動かぬフランケンシュタインのように、人々の卑しくも切ない葛藤の数々を、静かに見守り、傍観してきたに違いない。

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