「うつけ者は振り返る」(1973年“昭和48年”に生まれて)

半生・・・この先面舵いっぱいか?取舵いっぱいか?

ホームページ開設に伴い、
久しぶりに“ブログ”を綴ろうと思う。
2021年8月26日で48歳を迎え、
4回目の“丑年の年男”を迎えた。

昭和48年生まれにして、名前の総画数が48と、
“よんぱち”に因縁のようなものを感じたこともあり、
48歳48日目の2021年10月12日から、
ブログを始めさせてもらうこととなった。

“人生100年時代”と謳われる今日において、まもなく50歳を迎える我々“団塊ジュニア”は、人生折り返しの“アラフィフ”真っ只中。文字通り“半生を振り返る”という境遇に置かれているではないか、、と思い自分の“半生”とはどんな時代だったのかを検証し、人並みの中をかきわけ、壁づたいに歩いた我がナレーター人生の足跡と、それぞれの時代が結びつく共通項を見出していこうと思う。

敦盛・・・光秀の乱心をどう捉える

人間五十年、化天(下天)のうちを比ぶれば、
夢幻の如くなり

業火の本能寺で謡い舞う織田信長、享年48歳。
49歳を迎える2日前の絶命は、
戦国史を愛する同世代にとって感慨深いものがある。

天下布武目前にしての“本能寺の変”は、
うぬぼれや過信から油断や隙を生みやすい
“うつけ者の中年オヤジ”になったことを自覚させられる。

JR御茶ノ水駅

いまなおマスク必須のコロナ禍において、
謙虚にならざるをえない状況なのだが、
そんな2年間を通して、いま見てきた、
聞いてきた、感じてきた、
直近の状況に対する捉え方が変わったように思える。

振り返ること約10年前の40代前半に、3年にも及ぶ“厄年”に対し身を引き締めてきたものだ。そして、見えない敵“コロナウィルス”に屈しないよう、“鳴くまで待とう時鳥”の如く、我慢の自粛生活を送ってきたではないか。そんな過去をいま一度思い出し、謙虚に暮らしていく40代後半なのかもしれない。

若かりし頃の感情的、楽観的、短絡的ではなくなり、歩測と目測を図れるオトナ的に、そして加齢臭漂うオッサン的に、状況や物事を解釈し、咀嚼しながら捉えてこれたのではないか。

48歳・・・大切なものは何か

“ナレーター”を続けて20年。駆け出しの20代、自分の立ち位置を見出しつつある30代、経験値がようやく芽生え始めた40代を経てきた。紆余曲折のフリーランスにして、仕事受注の有無、業務の継続、そして同業との切磋琢磨は、そのとき、そのときのマインドの浮き沈みが生じてしまいがち。

“コロナ禍のそのとき”が、どの世代だったのかと思うと、状況の捉え方や解釈が俯瞰的になれたアラフィフの“いま”で良かったと改めて実感するのだ。

漫画『バガボンド』にて、“天下無双”を目指すギラギラした眼差しの宮本武蔵を目の当たりにした、剣聖・柳生石舟斎が、“ちと・・・危ういのう”と心の中で呟く。そう、20代、30代の自分はだいぶ危うく、世間に対しての浅はかな捉え方、傲慢な解釈を纏っていただけに、20代、30代で“コロナ禍”に直面していたならば、感染していた可能性があったのではないかと身震いする。

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